北海道科学大学高等学校に作品を収めました
4月に、作品を収めさせていただきました。こうして、パーマネントコレクションに加えていただけたのは初めてで、本当に感慨深く、感謝しかありません。母校ですので、ひとしおです。そして、これが実現するまで関わってくださった方々の熱い想いの数々に、なんと御礼を申したら良いのか、、、父と母に見せたかったなあ。
実はこの作品はポプラの木をいくつも繋げて、大きな生命を作った、と考えた作品です。 真ん中のスッと横に伸びる光は、この生命の始まりの光。実物だともう少しはっきり見えるのですが、。
木は中心が一番始まりの年輪なので、そういうところから考え始めた作品です。
昨年の夏にヨーロッパを回っていた時に、ベルリンの壁の雰囲気に衝撃を受けました。人間の恐ろしさにガタガタと震えてしまったのです。海外旅行はかなり不得手なのですが、1人で言葉がわからないからこそ、何か、自分の中で揺るぎない表現みたいなものへの欲求を恐ろしさと共に同時に感じました。その頃に考えた作品です。
生命の始まりはとてつもなく優しい、しかし撫でているだけで現れない。そんなことを思っていました。
最近、日高のチロロの巨石を見てきました。ここ数年で一番感動しました。
巨木と言われるような大きい木に潜ったり、彫ったりしていますが、その実はなぜかいつも切なさと共にあるのです。それは、いつか失くなることへなのか、木が感じている切なさを体現しているのか、途方もない生命力に歓喜すると共に、自分を見失うほどの切なさがいつもなぜか僕の傍にあるのです。
その中で、しばらく前から石や、地球の中心や、火山に興味を持っていました。木が地球の産毛や髪の毛なら、石は骨か凝固した血液でしょうか。 そこに触れたくて、火山を巡ったりもしていましたが、そろそろたまらなくなってきていて、石を掘ろう(潜って掘りたい、木の時のように)かと考え始めています。
この星に、やっと触れられるような気持ちです。 ただ、現実的には重さや、場所や資金や、道具の数々、なかなかすぐに始められませんが、なんとか、、もがく日々です。今日もスケッチブックの前でやりきれない時間をすごしてしまった。早く始めたい、。 いつか見てください。ではでは、久しぶりの日記でした。やっぱりホームページがあるのは僕にとって良いです。